「なぜかくも日本人は小粒になったのか?」最大の理由。【福田和也】
福田和也「乱世を生きる眼」
■「技能、能力」よりも「人格」のほうが大事だったのはなぜか?
この人の膝下(しっか)ならば、死んでも仕方がない、死んでもいい、と思わせるような、そういう器をもった人間が必要だった。
乃木という人は、若い時はかなりの洒落者だったのですが、一時期から身を慎み、質素な生活を営むように努めました。
食事は、粟や稗といった雑穀を摂り、着る物は常に軍服、旅行をしたら畳に布を一枚敷いて軍服のまま寝る。援助を求める人がいれば、疑いもせず金を送る。下賜品や貰い物は、すべて廃兵院に送る。
極度の節制と禁欲により、乃木は日露戦争の前から、ある種の聖者になっていたのです。
日露戦争後、講談師たちが、「乃木もの」と呼ばれる演目を数多く作りました。
ある停車場に、よれよれの服を着た、農夫然とした老人が降りる。
駅前の雑貨屋で、某という家は、どうなっているかと訊ねると、乃木という奴のおかげで長男が戦死してから、暮らし向きは大変だ、村でこぞって助けているけれど、というような話を聞く。農夫は泣きながら、その家の方に歩いて行った。その老農夫こそ、誰あろう、将軍乃木希典であった、というような。
もちろん、これは創作です。しかしこういう話を実話として受け取るような素地が、当時の日本にはあったのです。戦下手だけれど、兵を愛し、自ら二人の息子を戦死させた乃木さんにたいする愛情と敬意を、明治の日本人はもっていた。技能、能力よりも人格が大事だと、誰もが思っていたのです。
こういう将帥がいないと、戦争はできない。
その人柄の力でぎりぎりの接戦を制するような指揮官でないと、国家、国民を守ることは出来ないと、明治の日本人は、誰が教えなくても知っていた。
けれども、戦争をしなくなった、その脅威を感じない戦後の日本人は、ただただ技術と機能だけで戦争を語っている。
その人のためになら死ねるような指揮官への人格的感動なしに、戦争などできはしないことをまったく忘れているのです。想像すら出来ない。
だから、いくら軍事を論じても空論になってしまう。
こうした欠落の影響は、かなり大きなものだと思います。
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